細々とブログを続けていると思いがけないところから、お声を掛けていただくことがあるな。約一か月前、30年ほど前に大阪で教えていた生徒からコメントをもらっている。

大学を出て最初に勤めた大阪の府立高校で教えていた時の。

そんなことがあるんやな。

このブログを見つけた生徒さんもびっくりしたやろう。

おぼえているか、というと。

おぼえています、というには微かな記憶ですがおぼえている。

脳のどこかすみっこのほうにその記憶の断片がひらりとある。

でもまあいろんなものがいつの間にか混じりあっていて、間違っているのかもしれない。

ひらりとした記憶の断片を呼び起こすと、河川敷のようなところでその野球部は練習していた。学校のグランドで練習することもあったけれど、その日は河川敷での練習。

俺は河川敷で外野ノックをしている。

1年生の野球部マネージャー3人。入学したてで入部したてのマネージャーやな。河川敷で俺と話をしていたような、そんな記憶。

3人とも楽しそうに笑顔やったな。

先生、まったく違います。河川敷で練習なんかしていませんといわれてしまうかも知れない。けれど多分あっていると思うな。多分。

そういえばその野球部、硬式野球部ではなく軟式野球部で、恒例では3年生が春の大会を最後に引退するはずでした。

ところが、顧問の先生が春の大会のエントリーをし忘れてしまった。そして春の大会に出れなくなってしまった。結論として、高校最後の大会にでることが出来ない。

当然3年生は気持ちの持っていくところがありません。なんのために練習していたんや。

顧問の先生は忘れていたんだから仕方がないだろう的な態度やったな。最悪の状態。この俺は大学を出たばかりで週に2度か3度教えにいくだけの非常勤講師という立場。

野球部を実際に指導する先生はいなかったみたいで、新しく来た先生には部員が顧問になってもらえませんか、とアタックしていたようです。

生徒たちは指導してもらえる先生を必死で探している様子でした。俺は非常勤講師という立場なので、たまに練習を手伝うだけならよいよ、と答えた。顧問にもなれないし。

それぐらいしかできない。

そんな中、練習を数回だけ見たあとかな。ミーティングがあり、顧問の先生から先ほどの宣告。さすがに俺もエ~と思うだけで言葉がない。

春の大会には出れない。このことは1年生のマネージャは知らないかな。4月当初でした。

どうする、あまりに気の毒なので3年生の野球部員と話しました。彼らとは当然まだ人間関係もほとんどない中で。

お前ら、もしやる気があるなら夏の大会に出るか。最後の大会を夏の大会にするか。と。

3年間、自分たちだけで練習を続けて、3年生最後。まあ彼らにすれば野球経験者で野球を教えてくれる人がやっと来てくれたと思ったのかもしれません。

夏の大会に出ようと。

そこから猛練習が始まりました。という訳ではないな。彼らが続けてきた3年間の練習をサポートしただけです。週に2回ほど。だから指導に携わったのもおそらく4月から夏の大会が終わるまでだったと思う。

それから教頭に呼び出されて、余計なことをするな的なことも言われたな。まあ無視したけど。

そして夏の大会。快進撃が始まる。監督としてベンチに入りました。顧問は出来ないけれど、登録すれば監督は出来ます。

コールド勝ちが続いたように記憶している。1年ほど前にブログで書いたように本当に野球の上手い子がたくさんいたのでこのまま優勝して全国大会に行けるのではないかと。

おぼえているだろうか、あの夏のことを。